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東京地方裁判所 平成9年(特わ)2046号 判決 1998年1月12日

主文

被告人を懲役二年に処する。

未決勾留日数中二〇〇日を右刑に算入する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

平成九年五月一二日付け起訴状記載の公訴事実については、被告人は無罪。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、フィリピン共和国籍を有する外国人であるところ、平成三年八月二三日、同国政府発行の旅券を所持し、大阪府豊中市所在の大阪国際空港に上陸して本邦に入ったものであるが、在留期間は同年九月七日までであったのに、同日までに右在留期間の更新又は変更を受けないで本邦から出国せず、平成九年四月二一日まで東京都内等に居住し、もって在留期間を経過して不法に本邦に残留したものである。

(証拠の標目)<省略>

(法令の適用)<省略>

(一部無罪の理由)

平成九年五月一二日付け起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、みだりに、平成九年四月二二日、東京都葛飾区水元二丁目九番四号宇田川駐車場内に停車中の普通乗用自動車内において、覚せい剤である塩酸フェニルメチルアミノプロパンの結晶〇・三二五グラムを所持したものである。」というのであるところ、被告人及び弁護人は、被告人は本件自動車内に覚せい剤があったことは知らなかったもので、被告人と同せいしていたAが被告人を逮捕させるため覚せい剤を本件自動車内に隠し入れてこれを警察に通報した疑いがあり、被告人は本件覚せい剤所持の事実につき無罪である旨主張する。

そこで、以下、検討する。

一  まず、証人B1、同B2、同石神正詔及び被告人の当公判廷における各供述(以下、B1証言、B2証言、石神証言、被告人の公判供述という。)、Aの検察官に対する供述調書(以下、Aの検面という。)、被告人の司法警察員及び検察官に対する各供述調書等の関係各証拠によれば、次の事実が認められる(なお、弁護人は、本件覚せい剤(平成九年押第一九一六号の1)の収集過程に違法があるとして、本件覚せい剤、司法警察員作成の捜索差押調書抄本及び鑑定嘱託書謄本並びに警視庁科学捜査研究所薬物研究員森博彦作成の鑑定書の各証拠能力を争う(弁護人は、本件覚せい剤については関連性を争わず、右各書面については同意するが、いずれも違法収集証拠として排除されたい旨述べる。)が、石神証言及び被告人の公判供述等の関係証拠によれば、本件覚せい剤の収集過程に所論各証拠の証拠能力を否定しなければならないような違法があるとは認められない。)。

1  被告人は、フィリピン共和国籍を有する者で、平成三年八月二三日に来日し、在留期限後である同年九月八日以降もそのまま不法に残留して、土工等として稼働し、平成八年ころからは、東京都葛飾区西水元六丁目二三番九号所在の有限会社竹田機械で機械修理工として稼働し、同社が借りている同区水元二丁目一〇番八号コーポマルセイ二〇一号室に居住していた。

2  被告人は、母国に妻と二人の子があったが、平成六年三月ころ、同国人でダンサーとして来日していたA(被告人より四歳年上で、当時三一歳。母国に夫と三人の子がある。)と知り合い、以後Aと同せいしていた。Aは、在留期限後である同年五月五日以降もそのまま不法に残留していた。

3  被告人は、平成七年ころからAが働かないなどと言ってAとけんかをするようになったが、平成八年夏ころからはけんかをしたときにAを殴るようにもなった。Aは、友人で同国人のB1に被告人との関係など悩み事を相談していたが、平成九年には、しばしば、「被告人が酔っぱらって殴る。別れたい。」旨相談するようになり、同年四月九日ころ、AがB1に対し、「被告人と別れたいので荷物をまとめたい。」などと話すこともあった。

4  Aは、同年四月中旬ころ、友人で同国人のC1から覚せい剤を勧められ、C1宅で同女らとともに覚せい剤を加熱して吸引したことがあった。

5  同年四月二一日朝、Aは、東京都葛飾区水元五丁目五番二七号ペティヨB一〇二号に居住するB1とその夫であるB2(日本国籍)のもとを訪れたが、B1が一時帰国していたフィリピンから戻ったばかりでまだ寝ていたところから、いったん帰宅した。その後、Aは、同日午前中に、再びB夫妻のもとを訪れ、非常に怒った様子で、「四月二〇日に被告人の車の助手席マットの下にティッシュペーパーに包まれたビニール袋入り覚せい剤を見つけた。誰かの電話番号のメモかと思い開けてみたら覚せい剤だった。被告人を逮捕させるため、交番に一緒に行ってほしい。被告人とよくけんかをして殴られ、もう耐えられないので、できるだけ早く被告人を逮捕させて帰国させたい。四月二〇日もけんかをした。一、二週間前被告人の様子が変なことがあり、被告人が台所で覚せい剤を使用するための道具をいじっていた。被告人との性交の前に被告人の様子が変だったので、覚せい剤を使ったのかと聞いたところ、被告人が肯定した。」などと話した。

B2は警察に届け出ることに賛成したが、B1は、Aに対し、「自分でよく考えた方がいい。被告人は逮捕されて大変なことになる。Aも不法残留で逮捕される可能性があるから、それなら被告人と離れたらいい。」旨助言したが、Aは、「とにかく被告人を逮捕させたいので、被告人が先に逮捕されたら自分はどこかに逃げる。」などと言った。その際、Aのほほにあざがあり、歯のところにも殴られた痕があった。

6  同月二一日午後零時二〇分ころ、AはB夫妻と一緒に警視庁亀有警察署葛三橋交番へ行き、昼間当番勤務中の萩原金吾巡査に対し、「被告人に殴られるので助けてほしい。被告人の車の中に白い粉がある。」旨述べ、更に当番勤務中の水車進巡査部長に対し、「白い粉は、四月二〇日から翌二一日にかけての深夜、被告人の車の助手席側足置きゴムシートの下から発見した。」旨述べた。また、Aは警察官らに対し、「被告人は午後零時四〇分まで家にいるので、今なら捕まえられる。」などとも話した。B2が被告人方前の駐車場へ行って被告人の自動車を探し、水車巡査部長らは、竹田機械付近で被告人とその運転車両を探したが発見に至らなかった。

7  B2は、その後Aから何度も被告人が逮捕されたかどうかを聞かれたことから、同日夕刻、再び葛三橋交番に行き、Aの通報の結果について問い合わせをしたが、当番の警察官が交代していて、Aの通報を知らず、結局、係りが違うので分からないという返事であった。

8  葛三橋交番夜間当番勤務の石神正詔巡査らは、同月二一日午後一一時三〇分ころから、東京都葛飾区水元二丁目一一番付近路上で自転車窃盗や交通違反の検問を実施していた際、被告人が普通乗用自動車を運転して同区水元二丁目一〇番付近路上(被告人方前)にさしかかり、前照灯をパッシングした後、同区水元二丁目九番四号宇田川駐車場(道路をはさんでコーポマルセイの向かい側にある被告人が日常使用している駐車場)内に入ったのを認め、酒気帯び運転の疑いを抱いて被告人に対する職務質問を実施し、併せて被告人運転車両の検索をしたところ、助手席足踏みマットの下からティッシュペーパーに包まれたビニール袋入り覚せい剤(〇・三二五グラム)を発見したことから、翌二二日午前一時三七分ころ、被告人を右覚せい剤所持の現行犯人として逮捕した。

9  同日、B1がAの様子を見に行ったところ、Aは前記C1宅にDという日本人の男と一緒にいて、B1に対し、Dを新しい恋人だと紹介した。その後、AはC1のめいのC2宅で世話になっており、B1がC2宅に顔を出したときにはAはいつもDと一緒にいた。

10  Aは、同月二五日旅券不携帯の現行犯人として逮捕され、同年六月四日付けで退去強制となったが、D、B1、Aの妹らが帰国の費用を用立てた。

二  次に、Aの検察官に対する供述調書の要旨は、次のとおりである(Aは退去強制となっているため当公判廷でその供述を直接得ることはできない。)。

1  被告人とよくけんかをして殴られ、悩んでいたところ、平成九年四月中旬ころ、C1に勧められてC1宅で同女らと三人で覚せい剤の結晶を火にあぶって吸ったことがある。この覚せい剤はC1の娘のC3が買ってきたものである。覚せい剤が違法薬物であることは知っており、体によくないということが分かったのでその後は使用していない。

2  平成六年ころ、被告人から覚せい剤を使用したことがある旨聞いたことがある。また、平成九年三月上旬ころ、帰宅した被告人が普段と違って元気そうで食事もしないで性交を求めてくるなど様子が変わっていたので、被告人に覚せい剤を使っているのじゃないかと聞いたところ、被告人は職場の同僚のEと一緒に覚せい剤を使用したと答えた。そこで、被告人に対し、覚せい剤は体によくないのでやめるように言った。

3  平成九年四月二〇日、被告人の帰宅が遅いので、横になっていた。すると、翌二一日午前零時ころ、アパートの駐車場に車が止まる音が聞こえたので、駐車場を見ると、被告人の車が帰ってきたのが見えた。被告人が酔って帰ってきたので、眠ったふりをしていると、被告人はすぐ横になった。自分がトイレに入ると、被告人が部屋から出ていったので、トイレから出て、駐車場の方を見ると、被告人が車内灯を付け、車の助手席の方で何かをしているのが見えた。

4  被告人がほかの女の電話番号か何かを書いたものを隠したのではないかと思い、被告人が部屋に戻って眠ったころを見計らい、鏡台の棚の上に置いてあった被告人の車のかぎを持ち出し、駐車場へ行って、被告人の車のドアを開けて車内を探し、助手席の足マットをめくったところ、ティッシュペーパーに包まれたビニール袋入りの白色結晶を見つけた。覚せい剤ではないかと思い、大変驚いた。被告人に見せれば殴られると思い、元に戻してB1に相談することにした。

5  同日午前八時ころ、B1宅に行ったが、B1が寝ている様子だったので、いったん戻った。すると、被告人が酔っぱらっていてドライブに行きたがっていたので、反対すると殴りつけられた。

6  その後、同日午前一一時半ころ、再びB1宅へ行き、B夫妻に、覚せい剤を発見したことなどを打ち明けて相談した。被告人のことがやきもちを焼くほど好きだったが、被告人の暴力には耐えられなかったし、覚せい剤を隠し持つことは悪いことなので、警察に届け出るのが一番と考え、自分は片言の日本語しか話せないのでB夫妻に一緒に警察に行ってもらおうと思った。B夫妻に相談したところ、警察に訴えるのがいいと言われたので、同日の昼過ぎころ、B夫妻に付き添われ、葛飾区水元公園にある交番に行って、警察官に被告人の車の中から覚せい剤と思われる物を発見したことを話した。警察に届け出れば、被告人が覚せい剤を隠し持っていたことで逮捕されてしまうかも知れないと思った。

7  被告人との関係を清算し、被告人を恨んで警察に逮捕させるために仕組んだということはない。被告人を逮捕させるためならば警察に被告人の不法残留の事実を言えば十分で、覚せい剤を被告人の車内に隠し入れるというような手の込んだことする必要はない。被告人のことは今でも好きで、できるだけ長く日本にいて一緒に暮らしたかったので、警察に覚せい剤のことを届け出ることについてはちゅうちょしたが、悪いことは悪いことなので、涙をのんで交番に訴えた。

三  これに対し、被告人は捜査、公判段階を通じて、一貫して被告人の自動車内に覚せい剤があったことは知らなかった旨主張し、「約三年前に覚せい剤を使用したことがあるが、その後は使用していない。平成九年四月二〇日は午前七時までに出勤することになっていたのに、遅くなってしまい、会社のFさんらが車で迎えに来たので、その車に同乗して午前八時ころ、出勤した。仕事を終えた後、友人宅で飲酒し、同月二一日午前零時ころ徒歩で帰宅した。Aは部屋におらず、自分が寝ていると、午前三時ころ、Aが帰ってきた。午前六時ころ、トイレに起きたときにはAの姿が見えなかったが、再び仮眠し、午前七時半ころ起床すると、Aが寝ていた。食事を済ませ、午前九時ころ、車で仕事に出掛けた。Aを殴ったのは同月の第一週のころで、同月二〇日ころに殴ったことはない。」旨述べる。

四  1 ところで、本件覚せい剤は、被告人の自動車内から発見されたものであるが、前記一に認定したとおり、Aは本件の直前ころに覚せい剤を使用したことがあって、C1らから覚せい剤を入手し得る立場にあったこと、本件覚せい剤の量も多くなく(〇・三二五グラム)、Aが入手し得る程度の量であること、本件覚せい剤が発見された場所は被告人の自動車の助手席足踏みマットの下であって、Aが被告人に気付かれないように覚せい剤を隠し入れることも可能な場所であることに照らすと、本件覚せい剤が被告人の自動車内から発見されたものであるからといって、そのことから直ちに被告人がこれを所持していたものと認めることはできない。

そして、その他、本件覚せい剤やその容器等から被告人の指紋が検出されるなど被告人が本件覚せい剤を所持していたことを直接示すような証拠は提出されておらず、また、本件覚せい剤が発見押収された当時、被告人が覚せい剤を使用していたことを示すような客観的な証拠も提出されていない(被告人の検察官に対する平成九年五月九日付け供述調書によれば、被告人が逮捕された後提出した尿から覚せい剤が検出されなかったことがうかがわれる。)。したがって、本件覚せい剤が被告人の所持に係るものかどうかについては、被告人の弁解との対比等において、Aの検面を信用することができるかどうかに帰着するというべきである。

2 そこで、Aの検面をみると、なるほど、平成九年三月上旬ころに被告人から覚せい剤を使用したことを聞いた状況や本件覚せい剤を被告人の自動車内から発見した状況に関する供述など、その内容は、具体的で詳細である。しかし、Aからこれらについて打ち明けられたとするB1証言やB2証言以外に右供述を直接裏付ける証拠は提出されていない(なお、被告人の覚せい剤使用に関するAの供述も、Aの検面とB1証言とでは、その内容は必ずしもすべて同一であるとはいえない。)。また、Aが本件覚せい剤を発見する直前の状況についても、Aの検面は、被告人が自動車を運転して戻り、部屋に入って来ていったん横になった後、再び外へ出て行って自動車の助手席当たりで何かを隠したかのような状況を述べるものであるのに対し、Aの司法警察員に対する各供述調書(平成九年五月二日付け及び同月六日付け)では、被告人が自動車を運転して戻り、駐車場に止めた車の中で何かを隠すようにした後部屋に入ってきたというのであって、必ずしも一貫しているわけではない。

他方、被告人の弁解も、同年四月二〇日ころにAを殴ったことはないと述べる点などB1証言及びB2証言に照らして疑問な点もあるが、それ以上に、被告人の弁解内容に照らして直ちにその中核部分を虚偽と断ずることができるような点は見当たらない。

結局、Aの検面と被告人の弁解内容の対比からだけでは、Aの検面に被告人の弁解を排斥するに足るだけの信用性を認めるには至らない。

3 このように見てくると、Aの検面に被告人の弁解を排斥するに足るだけの信用性を認めることができるかどうかについては、Aに被告人の自動車内に本件覚せい剤を隠し入れて被告人を罪に陥れなければならないような動機があったかどうかという点が重要というべきである。

(一)  そこで、この点についてみると、次に述べるとおり、Aに右のような動機があった可能性を否定することはできない。

(1) 前記一に認定したところに照らすと、Aは本件当時被告人とけんかをして殴られることが多く、被告人の暴力には耐えられないので別れたい旨B1に訴える一方で、被告人とは別のDなる新しい恋人と交際していたことがうかがわれるのであり、Aには被告人との関係を清算する意図や、被告人の暴力に対する恨みなどから被告人を警察に逮捕させようとの行動に出るだけの動機があったとみても不自然とはいえない。

(2) そして、Aが、本件の直前に自ら覚せい剤を使用した経験を踏まえ、かつ、覚せい剤を入手し得る立場を利用して、被告人を警察に逮捕させるためには不法残留の事実を通報するだけでは不十分であり、被告人が覚せい剤を所持している旨を通報することが効果的であると考えることもあり得ることといえる(B1証言によれば、Aは、警察に届け出るとA自身が不法残留で逮捕されるのではないかとの心配はしていない様子だったというのである。)。

(二)  以上に加え、前記一に認定したところからAは早く被告人を逮捕させたいとの一貫した意思の下に警察に通報したことがうかがわれること(B1証言及びB2証言によれば、Aには警察への通報をためらったりするなどの様子が見られなかったというのである。)にも照らすと、「被告人のことは今でも好きで、できるだけ長く日本にいて一緒に暮らしたかったので、警察に覚せい剤のことを届け出ることについてはちゅうちょしたが、悪いことは悪いことなので、涙をのんで交番に訴えた。」とのAの検面の信用性には疑問を抱かざるを得ない。

4 以上のとおりであり、Aの検面には被告人の弁解を排斥するに足るだけの信用性を認めることができないというべきであって、本件覚せい剤は被告人の所持に係るものではなく、Aが被告人を逮捕させるため本件自動車内に隠し入れたものではないかとの疑いをぬぐい去ることはできない。

五  結局、平成九年五月一二日付け起訴状記載の公訴事実については犯罪の証明がないことになるから、刑事訴訟法三三六条により被告人に対し無罪の言渡しをする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 小川正持)

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